このブログを新幹線の中で書いています。本日朝10時から大阪の淀川キリスト教病院で、専門的緩和ケア教育プログラムについての検討委員会がありました。

日本緩和医療学会のELNEC-Jカリキュラムのさらなる上に位置付けられた看護師教育プログラムです。

つい2月8.9日の日本がん看護学会のパネルディスカッションに出席するために、あの大雪の日に、新潟市に出張して、この委員会のメンバーにもあってきたばかりでしたが、月曜日仕事をして、本日またの再会でした。

朝6時過ぎに家をでて、1日濃厚な話し合いを行い、その流れで、緩和ケアについて考えました。

昨日、ちょうど訪問したがん末期の方のことを思いだしていました。

留置カテーテルや中心静脈からのポート、ストマなどあり、症状の変化があると、つい、医療処置に追われてしましますが、在宅ではその患者さんの視線のさきや、置かれている状況を察知し、マネージメントも行うことが、重要です。

1k月以上も洗髪をしていない状況がどれだけ心を暗くするか、電子レンジをつけるとエアコンを止めなくちゃ、と話す患者さんの言葉にはっときづいて、電力会社にアンペアの変更の電話を掛けようと思うか、患者のみている時計が壊れていて、検討違いの時間をさしていることが気になる、患者がベッドサイドにおいているごみ箱がいっぱいであること、そんなことに看護師は気を留めなければなりません。

介護者が不在の状態で、急に動けなくなった患者さんの立場になって、医療処置だけ、身体だけのケアで終わらないでほしい。

終末期の患者さんの体温を管理することが生命力を大切にするためには重要です。処置して蒲団をはがなければならない時、胸に温罨法をする、あるいは、血液などの処置や排せつのケアの時は、ティッシュにメントールなどしみこませて、枕元におくと、臭いが気にならないなどの配慮がどれだけできるか、です。

知識、技術だけでなく、もし、自分がそのような立場に置かれて、一人で動けない場合、親戚や兄弟が一緒に住んでいない場合、今晩、この患者さんはどのような夜を迎えるのか、想像してほしいと思います。

専門的緩和ケアはむつかしいことではなく、患者の体験を自分のこととして受け止め考えることができることだと思います。

どんなにオピオイドコントロールや症状緩和、リンパマッサージの研修を受けても、この基本的な感性がなければ、何にも意味がないのです。

今、考えている専門的緩和ケアの教育プログラムは、これまでのように、講義形式ではなく、必要な知識は自己学習してきてもらい、5日間、グループディスカッションをとおして、自分に気づいてもらう、自分の人間力を高めるという方法をとる画期的な教育プログラムです。

新しい試みに教育を原点から見直しています

                          平原