この季節になると、我が家の近くのガードレールに花束が結わえられます。ああ、今年もこの日が来たんだな、と思い、13年前の風景を思い出します。

それは、夕方、仕事帰り、自転車にのって、子どもの保育園にお迎えに向かう時でした。

ガードレールのそばで若い女性と男性が、人目も気にせず、座りこんで大声で泣いていました。たくさんの花束がささげられていて、事故があったんだと察知しました。

その時のつらそうな深い悲しみの様子に心が痛んだのを覚えています。

それから、毎年若い人たちが花束をささげていました。ある年は、若い男性が夜遅く、ガードレールそばで座ってビールを1本おき、亡くなった方と飲んでおられる様子に涙があふれました。

亡くなった方を知らない私でも、そこでいのちを落とした方の無念さを思うとつらくなります。そして、花束を毎年捧げにこられる方の悲しみの深さが伝わります。

大切な人と別れたあとの悲嘆(グリーフ)は、時間の流れとは違うところで心に流れていることを実感します。

 今月、私は、鳥取市に29年ぶりに行きました。

29年前、この鳥取砂丘に向かうこの道を、父親と高校1年生の弟と3人でドライブしました。母親が亡くなった2か月後でしたでしょうか。

父親が私たちを気遣って、鳥取砂丘に行ってみようと連れて行ってくれました。

私は、その父親の気持ちに対してうれしい半面、切なさを感じ、3人になった寂しさをそれぞれ感じながらも互いが気遣い、皆、明るくふるまってたのを思い出します。

これまでの我が家の中心は母親でした。明るく近所の人から慕われ、いつも誰かが家に来て、大笑いをしている母親の声がにぎやかでした。

そんな母親をにこやかに見ながら、父親も笑っていました。

その灯が消えた家の中で、「もう、ほめてくれるひとがいないな」と家の後ろの草刈りをしたあと、外を眺めなが

らつぶやいていた父親、亡くなったあとから母親の枕を使って寝ている高校に入学したばかりの弟の寂しさを思

い、その1日の日帰り旅行は、私の中で、つらい、悲しい、泣いてはいけないと必死に抑え、のどの奥が押されているような気持ちで過ごした旅行でした。

19歳の何も知らなかった私も、最近では、講演で悲嘆について話すこともあり、悲嘆は整理できていると思っていましたが、29年ぶりにこの道をバスで通ったら、急に涙があふれとまりませんでした。

長い月日がたっても、大切な人を亡くした悲嘆は心の底にひっそりと隠れていて、ときどき顔をのぞかせ、心にあふれてしまうんだと自分でも驚いていました。あのときと同じように、のどの奥がおされたような感覚がよみがえってきました。

 大切な人を亡くした人の悲嘆は、その理由や当時の状況によっても違うと思います。

 どうか、このガードレールに毎年忘れずにきている方々の心が少しでも癒され、楽になりますように祈る気持ちでいっぱいです。

そらの上からみていてくれる人は、遺された人が、その人らしく幸せに、いつも笑っていることを望んでいるはずだから・・・。

 私が在宅看取りをした方へグリーフケアを行い、ご遺族に寄り添いたいと思うのはとても自然なことなんだと思います。

悲嘆はなくなることはないけれど、自分のもっとも悲しい時にいてくれた人と、一緒にいることはホッとするんだと思います。

その時(なくなる前後)のことを知らない人には、気遣いをして相手が困らないように明るくふるまったり、しっかりと応対したりするものなので、疲れるのだとおもいます。

少しでもご遺族のかたがそのままの悲しみを語れるように、同時にそれは私自身も別れた患者さんへの気持ちを共有できる大切な時間になっています。

これからも、悲嘆について考えていきたいと思います                            

                    平原