昨年は心が何も感じなくなるくらい、怖くて、さびしく、悔しく、悲しい出来事がありました。

今年はどうか、どうか、心が優しさで満たされ、楽しい日々が続きますように。

 私は小学校3年のとき転校をしたのですが、その時担任だった先生から、宮沢賢治の自叙伝の本をいただきました。その時から、宮沢賢治は私の心の奥にずっとあります。

宮沢賢治が生きた時代も、自然災害など悲しい、厳しいことがたくさんあったのです。

そのとき宮沢賢治がどう生きたのか。どう感じ、どう行動したのか。大切な人を失って、さらにどう生きようとしたのか。

昨年、私は、小学3年のときの大切なプレゼントの本を久しぶりに手に取りました。

心に忠実にひとと接する、そして、なにが最も大切なことなのか自分の柱に据えて生きる。

ブランド品でもなく、アクセサリーでもなく、安全な空気、生き物すべてが幸せに生きれる自然環境、そして、自分が十分生きていけるだけのものがあればいいのです。

なにより、家族や人とのつながり、互いの思いやり、人が好きっていう気持ちが宝物であるということがわかりました。

自分と違う立場や環境にある人を思いやる能力は、人の想像力によるものです。

どうか、想像力を鍛えましょう。

 夏、表参道を行進する若い人たちを観ました。福島の原発に対して、自分たちに何かできることがないか、と行動した姿は、りりしく、大きな声を出しながら、訴えている姿は力強かったです。

でも、大変悲しく、びっくりしたことがありました。のぼり旗でした。「東部電力」を「東部癌力」と書き換え、訴えていました。

どうか、この旗を癌で苦しんでいる患者さんが観ませんようにと目を伏せてしまいました。

癌の家族のことを心配している人たち、親を癌で失った子どもたちが観ませんようにと祈りました。

 私は、自分が今の世の中でどう行動するのか、考えました。

やはり、宮沢賢治のように目の前の自分ができることを誠実に、人を大切に、在宅看護という素晴らしい役割を全力で行うことが私らしい行動の仕方だろうと感じました。

そして、看護を習いたての19歳の私がうまく看護できないまま永遠に別れてしまった母への思いを胸に、目の前の患者さんに全力で看護を提供すること、それは、自分の都合を一番にしない看護、いつでも、どこでも飛んで行って、忙しいから行けないなんていわない看護をしていきたい。

一人の人間が24時間、1週間、1年という時間でできることは限られています。

誠実に目の前の役割を果たしていきたいです。

 以前在宅看取りをした患者さんの息子さんと今年もお話しました。

あの時小学1年だった息子さんは小学5年となり大きくなっていました。どうか、元気で健やかにいてほしい。                                          

今年もまた、私が出会う患者さんに寄り添えることができることに感謝して1年をはじめたいと思います。                  

平原