訪問すると、お声をおかけする前には、目をつぶり、つらそうなお顔をされていた方でしたが、こんにちは、とお部屋に入ると、いつも、目を開けて、私に微笑みかけてくださいました。

言葉は交わさなくても、元気だった時からずっとそうだったように、「こんにちは」「いらっしゃい」という会話が目と目で行えます。

なにも言わずそっと手を握ります。その日の様子はこの手を握るとだいたい分かります。

手の暖かさで今日の体温もだいたい分かりますし、呼吸の様子で今日は会話はつらいかなと感じ、「無理に話さなくても大丈夫ですよ」と声をかけると、安心したようにまた、目を閉じて私の手を握り返してくれます。

しばらく、手を握りながら、私は、皮膚の乾燥の様子、机の上の嘔吐様のビニール袋の中の様子、口の中の様子、脈の強さ、回数、心臓の拍動、頸動脈の拍動の様子、皮膚の色で昨夜のつらかった様子を想像でき、今日のケアを考えます。

在宅酸素をされていて、呼吸が早い時は、なにも言わず、はっか油をティッシュの垂らしそっと枕元に置くと、ふと目を開けて、大きな深呼吸をされ、にこっとされます。

まだお元気だった8カ月前から本人の好きなアロマオイルでのリラクゼーションとしてマッサージをしてきており、そのたび「あー、気持ちいい。ホッとする。」とそのあと、深く眠られていました。

そのオイルを感じた瞬間に、大きな深呼吸をされ、うれしそうにされます。

おなかの張りが強いですが、大きなクッションで楽な姿勢にして差し上げて、暖かい温あんぽうで全身を温め、アロマオイルでゆっくりさすると、力が抜けていかれる様子が手から伝わってきます。

ケアしていると私の呼吸もご本人と同じようにゆっくりとなり、力が抜けてきます。

心の底から愛おしい気持ちになり、言葉は交わさなくても、ご本人の心のすぐそばに寄り添っている感じがします。

亡くなる10日前、同じように寄り添っていた時、本人の目から涙が流れ、私も同じように涙を流していました。その時、ご本人は何もおっしゃらなかったけど、”悔しいよ、死にたくないよ、いやだよ”という声が聞こえたように感じたのでした。

2人で手を握り、私よりずっと若いその方が私より早く逝ってしまうこと、そして永遠の別れの怖さがこみ上げ、いっしょに目の前の死を見つめていました。

励ますことは私にはできませんでしたが、その死の恐怖を一緒に感じながら、涙が止まるまで手を握っていました。

そのまま、ご本人は寝息をたてられて寝られました。

 

お通夜の位牌のお顔は私が知らない、ずっと以前の健康そうな小麦色に焼けた素敵な笑顔でした。

 

あれから、町でふと似た人を見かけると、つい足を止めてしまいます。

そして、そのたび、もう会えないことを思い出し、あの時流した涙、胸が詰まるような、息がつけないような感じになります。

お通夜やそのあとご家族とともに涙を流すことが私にとってもとても大切なことなのです。

この自分のつらさも訪問看護開始の時から、引き受ける覚悟をしていたものです。

つらい気持ちでもありますが、私の心の大切な宝でこれからの看護をするときのエネルギー、支えとなってくれるものです。                    平原