私は、昔からほしい「もの」がなく、好きなことは自然の中に身を置くことでした。

貴金属はもちろん、服も、かばんも使用目的にかなえば何でもよいと思っていました。

私が素晴らしい、ああ美しいなと感じるものは、葉の上の朝露の輝きだったり5月の新緑のまぶしさだったりでした。

最近になって、人前に立つことが増え、飾りをつけるようになってきましたが、常識的に、この年齢では必要と考えてのことでした。毎週の食料品や衣類等の宅配の注文で、必要物品の一つとして牛乳などとと同様にネックレスを注文しています。

私が素敵だと思う女性は、20歳代のころから吉永小百合さんでした。

憧れたきっかけは、何かの映画のシーンだったと思いますが、貧しい戦後の風景の中で、白いブラウスとシンプルなスカートだけで、なにも飾っていないけれど、内からの人として、女性らしい思いやり、知性の輝きが素敵だったので、感動したのを覚えています。

また、小学校4年生のころNHKで見ていた「大草原の小さないえ」のおかあさんを素敵に感じていました。

貧しいけれど、一生懸命家族を支えているお母さんの笑顔が素敵と思いました。

風の谷のナウシカのひたむきな姿、自分のことでなく人のことを心の底から思い行動する芯のつよさが素敵と思いました。

年齢を重ねいろんな肩書がついてきて、過ちを犯しやすくなる年齢になると自分の人間としての素敵さがどれだけ身についているか、心配になってきます。

逆境に立たされた時、私の人間力が試されるのでしょう。

私は、自宅の町会にも積極的に参加して地域の方々とも付き合っています。そこでは、私の肩書は一切関係なく、ほかの人の社会的地位なども関係なく人間性で信頼しあい、惹かれあうのです。

今年、私は町会の郊外の部長になりました。(お祭りや地域の行事を中心となって行うことで、若いお母さんたちのまとめ役)

私がずっと昔から素敵だと感じる女性に近づけるように頑張りたいです。

                                   平原