今、神奈川県立看護大学の学生さんの卒論研究で、私が以前行った訪問看護の事例をインタビューしてくださり、内容を吟味してくださるというありがたい経験をしています。

今年の聖路加看護大学で行われた日本在宅ケア学会のシンポジウムで発表した事例です。

(若いおかあさんの在宅看取りと、小学生の子供へのグリーフケアとして継続して関わっている事例です。)

シンポジウムは、私には苦い思い出で、所内で発表した時は、大体15分から20分でしたので、大丈夫とシンポジウムに臨んだのですが、会場の方々が熱心に聞いてくださるので、つい、思いを熱く語ってしまい、シンポジウムの持ち時間がオーバーしてしまい、司会の方にご迷惑をおかけしてしまいました。本当に、穴があったら入りたい心境でした。

その事例の看護記録を丁寧にまとめ、その経過の看護介入についての詳しい様子や、その時私が判断したこと、考えたこと、患者さん家族の反応をインタビューしてくださいます。

私の看護に対する看護観、死生観、哲学も語らなければ、なぜ、その時、そのケアをしたのかは伝わらないので、日頃、口にはしない私が大切にしていることを話しています。

私にとって、ケアの意味は教科書に書いてあるものとは全く違うことのことがあります。

たとえば、マッサージを毎回ケアしているが、そのとき、どのような気持ちでしていたか、と聞かれ、

私は、もちろん緩和ケアの意味もあるけれど、タッチによるケアは、私自身を知ってもらう場面でもある、手のぬくもり、圧のかけ方、速度、、じっくり患者さんの様子を見ながら、心をこめて、私があなたにかかわりたいというメッセージを伝えているという意味があると、日頃の気持ちも話しました。

看護技術が大切な理由は、患者さんにいくら言葉で信頼関係を築こうと思っても、雑で相手への配慮のないケアを行うと、その看護師の気持ちは患者さんに伝わってしまい、自分の看護師としてのキャリアを含め、人間性もすべて相手に伝わってしまうということで、反対にいえば、そのケアを通して自分を知ってもらうことができるという場面でもあり、大変重要だとおもいます。

話しながら、改めて、自分が何を考えながら看護しているか、じっくり振り返ることができ、新鮮な気持ちです。

講演や講義でも話していますが、やはり、限られた時間なので知識、技術のことが先行してしまい、この私の心の奥底の看護師として大切にしていることまで伝える機会は少ないと思いました。

夕方2時間、話しましたが、まだ、訪問6回目までの話であり、先は長いです。

私が日頃、在宅看取り、グリーフケアを大切にしている理由などこの機会に形になるととてもうれしいですが、自分の心や人生観すべてを出すことになり、それが研究として多くのひとの目にふれることは恥ずかしいような、でも、自分でも知りたいようなそんな、複雑な気持ちです。

私の時間がなかなかなく、来週また夕方にインタビューをうけますが、何度も足を運んでくださる学生さんに申し訳ないですが、よろしくお願いします。

やはり、走ってばかりではなく、立ち止り、じっくりまとめることは、本当に大切だと感じました。