先日から、ずっと考えていることがあります。

記録についてです。

病院では、看護師は3交代、あるいは2交代の体制で急性期治療の患者さんに看護を行い、変化にたいして医療ミスを起こさないように、手順書や基準にのっとりなるべく経験による違いがないように電子カルテには、看護診断などが入っているのでしょうか?

検査データーもリアルタイムで変化し、診断途中に、看護師がむやみに患者に病態のことで説明はしてはいけないことになっているのでしょう。

それぞれの看護師は24時間の患者の変化を細やかに記録し、どの時点で変化したか、それはどの治療のあとのことか、医療の責任を明らかにするためにも、ここまでは患者は異常がなかったことを記録しておかなければならないのでしょう。

医療だけではなく看護師自身を守るためにも、異変があったのは、自分がかかわる前からであること、その病状の悪化に自分の看護の責任はないことを証明するためにも記録はあったのかもしれません。

訪問看護はどうでしょう。

1週間に1回、ターミナルでも、2日に1回、あるいは1日ごとに看護師が1時間程度滞在することの意味や役割は病院とは異なります。医師がいない場所で、「療養上の世話」の責任を一人で背負うのです。

訪問看護師は、目の前の状態を前回自分が来た時からの変化とともに把握し、病状の変化を瞬時に判断しなければなりません。

誰かに相談もその場ではできませんから、自分の看護師として専門知識で判断するわけです。

その判断を行い、本日の看護の内容を決め行います。1週間に1回の患者さんでしたら、この1週間の変化をよく確認してほんとうに今日、通常のケアを行っていいのか、判断します。病院のように、誰かが直前に見てくれているわけではなく、自分だけ、という状況が「責任を負う」覚悟を次第に持てるようになる理由でしょうか。

私は、いつも、急なピンチヒッターで訪問することが多いので、安定している方でも、常に、一生懸命、全身のフィジカルは常にとり情報を集め、判断と、次回の訪問までに療養する際の予測を行い、説明します。

さまざまな情報のなかで大切なこと、そうでないことを判断し、記録はその重要なことのみ記録しておけばよいとおもうのです。そうしなければ、莫大な情報を処理して判断しているのですから、それをすべて書くわけにはいかないのです。

外来に2週間に1回受診の患者さんの変化を担当医は必要なことだけ記録するのと同じです。

医師は自分の診断と治療の役割を果たすための情報を得ようと患者に必要な情報を聞きます。

訪問看護師も療養上の世話の役割を果たすための情報を療養環境を五感でかんじながら、家族からも情報をえて、判断します。

訪問看護師は病棟の看護師より、この医師のほうがイメージに近い気がします。

 

ポイントを知るためには、やはり、幅広い知識が必要だと思います。細かな記録が必要な時は、

担当として、大きな変化が予想されるときであり、きちんと評価して、方針を改めればよいのです。

私は、病院から訪問看護に移行してきた看護師は、まず、この自分でその場で判断し、その自分の判断を患者・家族に説明できることができなければ、ストレスが大きいのでは、と思うようになりました。

 これまでの臨床の経験があるわけで、力はあると思います。

自信をもって、訪問するたび、自分で判断し、その判断に責任をもつ、それをあとで確認し、あっていた、とか、違っていた、と学んでいくとよいのかな?看護師は、あらゆる病気を持ったかたの療養上の世話に責任を持つのです。

患者、家族がわかる言葉で、噛み砕いて説明できることも大切です。

とにかく、判断できる幅広い知識は、丁寧に自分の患者さんの事例をまとめることでしか、力はつきません。本をよんで、漠然と勉強しても、自分の言葉で言えるだけの力にはならないのです。

医師が卒業後受け持ちの患者の全責任を負うプレッシャーで、伸びていくように、訪問看護1年目は、とにかく自分の担当の患者さんすべての病状を理解し、責任を負う覚悟をもつことです。

それが、記録を簡単にする近道かなと考えるようになりました。