魂へのケアとはどんなことだろう。

以前は、よくわからなかったのですが、最近思うことがあります。

 

数年前の私は、患者さんのなかでも、緊張するタイプや、訪問する前にひいてしまう方があり、必至に、専門職たるもの、と自分をいさめて、がんばって関係作りをしていました。

「がんばって」訪問看護師として、役割をはたしていました。

最近は、すべての患者さんがいとおしくてたまりません。

その方の人生や、病とともに生きておられるその姿を尊敬の念で受け止め、何の先入観もなく、受け入れることができます。

その魂そのものが、いとおしく、暖かな気持ちでいっぱいになります。

どんなに、怒りの感情、苦情をぶつけられても、そのままの気持ちで、その方のことのみ考えておれるのです。

それは、たとえて言えば、わが子が、どんなことをしても、どんな状態でいても、ただ、無条件でその存在を受け入れることができる母親の感情ににています。

スピリチュアルペインに対してのケアは、何もしなくても、ただ、そこにいるだけで癒しを与えれる存在であることが前提であると思います。

ちょうど、子供が母親がそばにいるだけで、安心できるような、そんな存在になることが必要です。

どんな人間であろうとも、これまでいっぱいいけないことをしていても、無条件で受け入れてもらえることが、安心をうみ心の痛みや寂しさ、心細さ、孤独が癒されるのではないでしょうか。

だから、神というすべての人間を受け入れてくれる存在が、スピリチュアルペインをいやすのではないでしょうか。

私は残念ながら、信仰をもっていませんが、私のことを自分の都合を優先にせず心寄せてくれて、無条件で愛してくれる存在があれば本当に安心でしょう。

「神父さん」、とか、「お坊さん」とかであれば、神と同様安心をすぐに感じることができますが、「訪問看護師」では、そんな私の気持ちを知っていただけるのに努力が必要です。

まず、看護で伝えることが最初です。そのケア技術を通じて自分のことを知ってもらい、少しでも安心を感じていただけることが私の追い求めているケアです。