11月7日に、東京都で、在宅の緩和ケアについての研修会があり、新宿区の英先生が在宅医療での緩和医療について前半、後半に私が在宅の訪問看護ステーションの実際をお話しました。

医師が20人、看護師が200人以上、その他の職種の方々合わせると、大勢の方々で、会場はいっぱいでした。

 もうすでに、現場で活躍されている方々への研修なので、私が経験した事例をご紹介し、緩和ケアについてのほんの一部分でしかありませんが、何かのヒント位になれば、という気持ちで、お話しました。

 わたしは、これまで、がんの患者さんから大勢のことを学びました。

いつも、講演などの場でお話ししながら感じることですが、私は、自分の力で、あるいは、訪問看護師の力で、患者さん・利用者さんによい時間が過ごせるように、なんて考えていません。

患者さん、家族の力が、人生の幕を引く時の貴重な場面を作っているのです。私は、毎回、その場面に立ち会えた喜びと緊張に、一生懸命役割を果たしたい、と感じています。

私が、講演などで、お話を引き受けるのは、この患者さんが繰り広げるそれぞれの人生の最後に、医師や看護師がそれを台無しにしてしまうことが、まだまだあると感じるからです。

医師や看護師は勘違いしていることがあります。「死」の前には、医療は裏方に回らなければなりません。その人のこれまで生きた全てが、本人、家族のなかで貴重な時間として流れているのです。

そこに、医療従事者がずかずかと入ってはいけないと思います。

余裕のない医師や看護師は、自分のすべきことに必至になって、その看護師の大変な気持ちを、患者さん、家族に伝えてしまいます。私は、それは看護師が看取りという、不慣れな場面をきちんと技術として、身につけていないことが理由の一つだと考えています。

 

 80分という短い時間の関係で、そのうわべの知識、技術の面の講演になってしまいました。

最低の看取りや緩和ケアの知識、技術の上に、その看護師の死生観が大切になってきますし、人のとらえ方、といった哲学も影響します。

そんな、話し合いも皆さんとぜひ、したかったと思います。

そんなことを帰りの電車で考えながら、不消化の気持ちでいっぱいでした。