昨日、首都大学東京にて、学会がありました。
特別講演にて、長野でホスピスの実践をなさっている、高橋卓志氏の講演を聞くことができました。
寺の住職もなさっておられる一方で、イギリスのセント・クリストファー・ホスピスでの研修を終え、チェルノブイリでの活動、タイでのエイズホスピスでの活動を経験されて、現在地域で素晴らしい活動をなさっています。
今年の学会のテーマは「コミュニティケア~生・老・病・死を支えるネットワーク」でしたので、日頃、在宅での看取りや、グリーフケアをとおして地域のかたの人生により添っている私たちにとって、本当に心ふるえる内容でした。
私は、死は決して敗北でもなく、自然なことで、あらゆる生きているものは、命を育み、そして次の世代に受け継ぎ、死んで行くものと考えています。
それは、私にも訪れるものであり、それまで、どのように私自身の生を全うするのか、その生きているすべての時間の輝きが、死の輝きにつながっていくと思います。
私は19歳のとき母をなくしました。
元気で明るい母が、病となり、治療をしながら妻、母として一生懸命生き、そして、死んでいきました。
驚いたことは、葬式の日、ものすごい大勢の方が来ていただきました。地域の私たちの知らない人たちが、母をしのんで泣いてくださり、私の手を握り、母の思い出を語ってくれました。
私にとっての母の印象と、その方々から聞く母とは少し違っていました。
また、母は、養護院の親のいない子供を自分の子供として、引き取りたかったことも知りました。
そんなことを考えていたとは、本当に知りませんでした。社会への貢献をたくさんしていたことも、私の知らない人からたくさん聞きました。
そういえば、働いているお母さんのために、小さな男の子を保育園後、面倒をみてそのお母さんに、夕食を持たせていたな、とそれまで、忘れていたことなどを思い出したりしました。
そんな母から私は、一生懸命自分のできることをするといった、人生への姿勢を学び、引き継いで生きているのだと思います。それは、私の3人の子供にも伝えていきたいことですし、実際、訪問看護師として働き、夜中にコールがあれば、出かけ、また、大学院へ入学して、自分のできることを模索する私の姿を子供たちの受け取り方でいいから、見ててほしいとおもいます。
私は必ず、いつか死んでいきます。いつになるのかは、わかりません。母は42歳でした。
私も42歳で死ぬかもと思って、生きてきました。
いつ死んでもいいように、娘だけには、妊娠、出産のときの細かな様子をノートに記してあります。
母としての仕事ですから。
私は、訪問看護で患者さんを看取るとき、私も同じです、あなたと私は同じです、と心の中で話しかけています。
私はどのように生きてその「死」を迎えるのか、楽しみでもあるのです。
自分らしくあればよいと考えています。それを、探しながら今を自分らしく生きているのでしょう。
在宅ホスピスを訪問看護師として、仕事にできることは私にとって、本当にうれしいことで、感謝すべきことです。
学会で高橋住職のお話を聞いて涙があふれたのは、同じ思いでおられる方に出会えた喜びからでした。