「家にいたい」と思う障害者の生きる権利や暮らしの場の選択の権利の尊重は、WHO 2006年 障がい者権利条約で述べられ

 「死ぬことを前提とした生活の禁止」もうたわれています。

 日本は世界の国が次々批准されて行く中、恥ずかしいことに2014年2月にやっと140番目くらいだったでしょうか、批准国となれました。それも、あわてて法整備をすすめたため、医療職や行政、介護職、福祉職の意識変革まで、手が回っていないのが現状です。

昨年の暮れ、私は大変驚いたことがありました。

難病の独居のかたが「家にいたい」と希望され、障害者総合支援法にのっとって障害認定の審査にかけたら、ランクはもっとも重い判定が出たにもかかわらず受け入れられず

結局、在宅療養支援診療所の主治医と訪問看護師には確認もなく、入院となりました。

本人は「行政の支援が受けれなければ経済的に自己負担が大きく、在宅療養継続はむつかしい。しかたがない。でも、家にいたい」と話されました。

かろうじて、入院直前に行政やケアマネに交渉し、今回は短期的な入院とし、再度審査申請を行い、支援が決定したら、在宅療養の継続ができるように調整できました。

 障害があり在宅で過ごすには、細やかな介護サービスと医療サービスが必要です。しかし、それを本人が望んだ場合は当然の権利としいて、叶うように法整備された国が、障がい者権利条約の批准国のはずなのです。

昔の日本はこの制度も不十分で、また国民意識に偏見や差別があり、世界の基準に到達できず、批准国になりませんでした。

わたしは、この審査会の一連の流れに大きな問題があると感じています。

審査員は高い倫理意識、障がい者の権利の深い理解、福祉の知識を持つべきで、自分の経験内で判断すべきではない。それと制度遂行のための行政の役割が十分果たされていないと感じました。

進行性の難病のかたでも大勢のかたが在宅療養をおくり、旅行にも行き自分らしい生活を送ろうとされています。

もちろん心配や不安を持つ方は施設を望まれる方もいるでしょう。そのときは、人生を大きく規定してしまうその施設のことを十分知ったうえで、進めてください。

昨年北区で起きた身体拘束の施設を紹介していたのは、多くが病院の退院支援だったと書いてありました。

紹介した施設の実態を理解しないままの調整は、無責任だと思います。

わたしは、1月1日、入院された病院に栗きんとんと大好きなレアチーズケーキをもってお見舞いに行きました。

私の調整が本人の気持ちと離れていないか気になったのです。

その方は、数日しかたっていないのに「立てなくなってしまった。家にかえりたい」と話されていました。

その病院のせいではなく、療養病棟という体制基準の中でリハビリや在宅で行っていたことはできないのは当然なのです。

地域の介護サービスの量の問題でお正月だけのショートなどはよくある話ですが、今回は違っていた、このままこの体制で療養したら明らかに寝たきりになります。

障がい者権利条約の

スローガンは「我々のことをわれわれ抜きに勝手に決めるな」です。

 

私は、長く仕事をしてきたものほど麻痺したものさしがあると自覚しています。

世界と同じ基準にやっと整備されても、肝心なことはそれを動かす医療、介護、福祉、行政の高い知識と判断、そして国民の当事者の権利意識だとおもっています。

あすか山訪問看護ステーションでは、昨年の春、トイレに、この障がい者権利条約の原文を貼りました。

「家に居たい」「自分らしく生きたい」と思う障害をお持ちの方に私たちはどのような姿勢でケアすべきか、間違いを起こさないようにと思ったのです。

私自身も自分のとっさの判断を慎重に行うようにしています。

どうか、私の愛すべきこの北区が、高い倫理意識をもった専門職、区民の意識の高まりを支える行政が一体となって、健康寿命がのばせて、障害があっても長生きするなら北区が一番と思える地域であってほしいと思います。