ステーション管理者として

がん、小児、精神、難病、認知症、遷延性意識障害者などすべての対象を毎月40~50件の訪問看護を行っています。講演会や講義は昨年は年間48回、委員会は年間100回以上をこなしていました。今年はあらたに

厚生労働省からのモデル事業や経済産業省の事業のチームの一員も付加されました。

実践の中から、地域の医療が必要なかたの支援について深く考え、それをもとに行政の仕組みに何が必要か考え、代弁し、自分のフィールドの地域づくり、リーダーづくりに反映していく、その実践がまた自分のケアの向上にも反映されたことを実感し

看護ケアとは何か、地域のダイナミックなネットワークと個別のケアの質がどのようにかかわっているか、身をもって感じる、だからそれをいろんな仲間に伝えたくなり、私のすべての仕事は関連しています。

地域づくりと看護はナイチンゲールがいっていたとうり切っても切り離せないものだと感じています。

訪問看護師でも、地域づくりの会議やネットワークの場は、仕事以外の場で、なるべく出たくない、時間外で疲れているし、管理者がでればいいと思っている看護師は多いと思いますが、もったいない。

看護の本当の意味を理解せずして、表面だけの看護をしているといつか疲れてしまうのにな、と思います。

同時に博士後期の1年生として論文づくり(昨日、学会の査読後の再投稿ができました)と
平行して、現在は概念分析の準備をしてます。

訪問看護師の実践している看護の一つの概念を深く整理しながら、昼間、患者さんのケアを行うと、「理論家がいっているとおりだ」とよくわかります。

これまで、無意識に行っていた看護一つ一つの意味が分かります。

患者のことば、表情、身体の変化に敏感になります。

人が病気を持ちながらも自己効力感を上げるには、全人的苦痛を緩和することが大前提、

認知症で医療処置のかたに、荒川遊園地に一緒にいって、好きな釣堀の風景をみると眼が輝き、表情が変わります。

子どもは好きなプールの場では驚くほど体が伸びて短時間でリハビリ効果があがり、なにより

そのすばらいし可能性を秘めた変化をお母さんが実感がすることに大きな意味があると思います。

難病でカーテンをしめた部屋ですごしていても、外へ出て自分で好きなものを買い物できると、次の訪問までの時間は、自分が何が欲しいかな、どこへ行きたいかな、と考えることができます。その考える時間を作ることが

週に1回の訪問の外出支援には大きな意味があるのです。外出その時間が私の看護のねらいではなく1週間の一人の時間の意味、生活の質をかえることが目的なのです。

20年前から、私は感覚でその方へ「外にでましょう」「○○しましょう」と同じことをしていましたが

今は、そのことがどのような意味をもった看護実践なのかということを頭の中で考えながらケアできるようになりました。

研究をしながら、実践することで私は、はじめて看護師になれたと思います。

看護師なりたてのころの気持ちで、、看護とはなにか、看護師とはいったいどんな役割や効果をもっているのか、学び始めたとおもっています。

私は若い看護師は、研究も行いながら、実践をすべきだと思います。研究はベテランがするものではなく、ましてや、余裕ができたらするものではなく、看護がよくわからないと思っているなら、率先してやるべきだと思います。

  

                            平原