退院前カンファレンスで初めてお会いした時、周囲の人へ緊張した表情で「すぐ、忘れてしまう・・」と話され、ご家族も心配されていました。
回想法で、古いアルバムを用いて脳の循環改善を行い、足湯と足の関節の可動域を拡大し、浮腫も改善し、土ふまずをだし、安定して歩行できるようにしました。3回目でパジャマから洋服に着替えてもらい、入浴もできることを確認し、お話をしながら、入院される前からぜったい行かないと言っていたデイサービスに一緒に見学にいきました。退院後2週間で、週2回のデイサービスへ行けるようになりました。
でも、私がとても気になっていたのが、「主人も死に、弟も死んでしまった、友達もみんないなくなった。早く迎えがきてほしい・・」という言葉をずっと繰り返されていたことです。
見た目は、元気で、ADLも病院で車いすに乗っておられたときと比べると抜群によくなりました。
でも、私の中で、もっと必要なケアがある、どうしたらいいのか、会話の中にヒントはないか、とずっと考え訪問していました。
あるとき、急に入れ歯が合わず訪問予定の日に歯科受診となり、家族から、訪問看護ではないから、ヘルパーさんに受診同行を頼もうかと思った、本当は遠くのいい歯医者がいいけど、近くの昔からの歯医者がいいと本人がいうので、私は絶対いやだけど、しかたない、まあ、私が同行してもいい、と電話がありました。
そのとき、ハッとし、「本人がその歯医者がいいといった」の言葉にすごくひかれました。
本人がこの退院してから行きたいと言葉にされたのが初めてだったのです。
とっさに「私が同行します」と話し、「え、いいのですか?」と家族は戸惑われたけれど、本人と一緒に行きました。
近くの歯科は週3日、9時から11時までの診察、出てきた医師は80歳代、ご自身もお体がわるく通院され、誰一人患者さんはいませんでした。
本人は先生と穏やかに話され、とてもいい顔をされていました。60年前からこの歯科医院に通っていたこと、ご主人もこの先生と音楽の話をして気が合っていたことを教えてくれました。腰が曲がって、地面ばかりみて歩かれていたご本人と2回目の受診のとき、途中で急に立ち止まり上を向かれ「やはり、今年もたくさんなっていた。」とおっしゃった先には、八朔がたくさんなっていました。そのまなざしはこれまでみたことないような、瞳の力強さ、微笑みが素敵な表情でした。
90歳近いご本人にとって、この道は懐かしい道、歯科の先生はご主人をよく知っている同じ時代を生きてきた方、その方との懐かしいいつもの会話は、元気だった時の自分をほうふつさせ、安心感あふれた時間になっていました。
訪問看護師は、心に寄り添い、その方らしい本来の表情を引き出すことが役割です。はじめの察知がとても大切で、これをヒントにどうしたらもっと心も体も元気で、お持ちの生命力が引き出せるか、それが看護のだいご味です。
毎回、私は全身全霊でご本人と向き合い、私の人間としての感性が試されていると感じます。それがとても楽しい時間でもあります。
平原