お通夜での遺影の写真はみな笑顔です。その笑顔を見つめながら、いろんな話を聞いた場面を思い出します。

訪問看護では、どの患者さんにもどのように生きてこられたか、どのように生きたいかしっかり聞かなければ、その方に寄り添った看護はできないので、いろんなことを教えていただきます。

戦争の話、子育ての話、仕事の話、時には刺青を入れた時の気持ち、ドキドキするような話、本当に人生の先輩として学ぶことが多いです。

そのような人生を送り、いろんな困難を乗り越えてきた患者さんを心で感じることができると、人間が持っている生命力の力強さを知り、医療・看護はその力を支え最大に発揮できることが役割と思うのです。

若い緩和医療を勉強されたての医師や外科系の自分の手で、患者の命を救った、という経験を多く持っておられる先生は、最新の医療,緩和医療を駆使しその患者の命の調整を自分の手で行えていると錯覚してしまうことがあります。

症状緩和を医学雑誌を見ながら試みたり、試してみようとされ、実際患者さんは笑顔に戻ることも確かにあり、私もそのような医師と組むとうれしい気持ちになります。

しかし、多くの患者さんへの緩和ケアを行っていくと、次第に医療者が薬でその人の苦しみを取り除けるには限界があり、その限界の先にスピリチュアルな面があることが実感できます。

結局その方の全人的な苦痛を取り除くには、さまざまな小手先の医療では完全に取り除けない、では、どうすればいいのか、私が最近改めて実感するのは、その人の生き方、人生の延長上にその方の死があるようなかかわりが必要であると考えています。

したいこと、気になること、その人らしさが最大限引き出され現実に体験できると終末期の状態でも笑顔でいてくださることがわかりました。

そのケアができるには、かかわった時からその人の話をじっくり聞き、多様な価値観を自分の人間としての価値観にとらわれない理解、受け取りが必要と思います。

小手先の営業用の笑顔や知識、技術では患者さんの心を開いてくださるかかわりにはならない、看護師も全人的な思いで接することが必要です。

 お通夜の遺影を見つめながら、この笑顔が引き出せたか振り返り自分の未熟さを真摯に受け止め、頑張って自分を鍛えたいと思うのでした。