今日、ショックなことがありました。
患者さんが3か月入院した経験を語ってくださった中のことばです。
「まるで、アウシュビッツのようだった」
私は、そのつらそうな表情と、ショッキングな予想しなかった言葉に心の奥がグーっと締め付けられるような、体が凍りつくような感覚になりました。
「母親も前、そう言っていたのよ。一列に並んで、順番に体を洗われて、シャワーで流されていく。アウシュビッツのようだと。私も、もののように扱われ、男性の看護師に寝たまま体を洗われた。自分が、ものになったようだった」
多くの患者さんが、入院して、退院していく中で、看護師が当たり前の感覚を見失っているのではと、思いました。
患者さんが自分がもののように感じたと同時に、そこの看護師も空虚で、虚しいのではと思いました。
訪問看護師へのうれしいお言葉をききながら、この方が心のなかに深い悲しみをお持ちであること、そして、それは、人の命を救っている病院の中で起こったこと、その病院は、地域では大きな病院であり看護師の体制は他の中小病院とは比較できないよう十分であることを思い、この問題は大きく簡単な問題でないことを感じました。
訪問看護師は、自然の気候や町の暮らしのなかで自分の心に忠実に仕事ができます。
病院は、いったいどうなっているのしょう。
これは、私の問いかけというより、患者さんの叫びです。
どなたか、病院看護師さん、この叫びにこたえてください。
そして、不安いっぱいの私にも教えてください。