今日、1月から毎日訪問看護が必要で、土日もすべて訪問看護が療養生活を支えたからが、なくなられた.

耳も目も不自由で、長年、一人で生活されてきたその方は、そんな不自由な体ですが、9カ国もの海外に同じ障害をお持ちの方々を引率されて活躍されてきました。

 

家には、さまざまな方がきておられました。

その深い、幅広いつながりに、訪問看護師の私は本当に驚き、同時に尊敬していました。

去年の12月に初めて退院前カンファレンスでお会いしたとき、本当にこんながん末期の両足にリンパ漏の状態で家で一人暮らしができるのか、少し考えました。

今年に入っての2回目のカンファレンスには、毎日のかかわりが必要なこの方を引き受ける覚悟をしました。

なぜなら、本人が心の底から、家に帰りたい、とおっしゃっていたからです。

手で文字を読む指文字で、伝えることを本当に理解してもらうには、時間がかかりました。

そして、8月から、最後の時には、文字を読むことができないだろうと予測し、いろいろ考えて、合図をきめようか、どうしようか、と本人と模索しましたが、高齢でもあり、新しいことを覚えることは、抵抗があるようでした。

この1週間は、せん妄もありましたが、ふれあう手の感覚で互いの思いを感じたようにおもいました。

食事は最後まででき、緩和医療でがんによる痛みは緩和でき、浮腫による苦痛はリンパマッサージを行うことで、和らいでいたようです。

朝、息苦しそうな状態との連絡で、当番の看護師がいってくれ、その様子を9時30分ころ電話で確認し、その症状から、あと数時間と予測し、主治医に電話をしました。

本人の事前指示を主治医が受けていたからです。私も含めて何度も確認し、本人の希望を確認し、在宅での希望は強い思いでした。

その後10時15分に呼吸はとまりました。

私も駆けつけました。

看取りのあと、数日前か、10年来大学でこの患者さんにお世話になったという若い方々が、泊まり、見守っていただいていましたので、皆さんでお別れをしました。

ケアマネジャーと抱き合って、お互い一生懸命この在宅でのご本人の希望した生活を支えた思いを共有しまいした。

涙があふれ、互いに「引き受ける覚悟」をした者同士に共通した熱いこみ上げる思いでした。

献身的に介護に来ておられた妹さんの「かわいそうに」と泣かれるその姿にも感銘しました。

午前中の看取りをしてから、自分の心の中の寂しさ、空虚、もっとよい看護ができたのでは、という後悔、本当の患者さんの姿を自分は深く知っていただろうか、という不安がずっと私の中にありました。

いつも、そうです。

看取りを行い、全力で看護した方との別れは、私の心に寂しさや生命力のエネルギーの低下をおこします。自己コントロールのため、午後、おいしい料理をたべ、運動を行い、お風呂にゆっくりはいりました。

私のこころの奥にまた一人、その尊敬するかたの生きざまが刻印され、ずっと、私は、この方を思い続けるでしょう。

大切な出会いでした。

未熟な私の看護を受けていただき、ありがとうございました。この経験を生かさせていただき、他の患者さんへもっとよい看護を提供できるような、器づくりに励みたいです。

合掌。