私にとって、大切な人が亡くなりました。
私が初めてあったのは、ご主人の訪問看護の初回訪問でした。
それから、8年間、個人的には3番目の子供を産み、休みはありましたが、週3回の訪問看護で泣いたり笑ったり、一緒の時を過ごしました。
その間に、介護されていた娘さんのがんの発病、治療。家族とともに悲しみ、体が割かれるような痛みを感じました。
ご主人の在宅での看取り、これは、家族ともども、やり遂げた、といった雰囲気で、寂しさは、もちろんあったけれど、みな、泣きながら、「お父さん、幸せだったね」と、声をかけておられた場面が、印象的でした。私も、一緒に、涙しながらも、思いでを語り、訪問看護師としての、熱い思いがこみ上げました。
その後の娘さんの病院での看取り、これが、私自身大変つらかったです。
娘さんは、お母さんの負担を考え、緩和ケア病棟に入院されました。
私の届かないところでの苦しみ、悲しみ、つらさ・・・私が何もできない状況は、その病棟のナースへの怒りへ変わり、なぜあらゆる考えられる緩和ケアをしてくれないのか、という思いとなりました。
あの明るい笑顔で、我慢強い娘さんが、助けてーと大声で叫んだという話を聞くと、胸が張り裂けそうでした。
娘さんとの8年間の絆が頭から離れず、身が切られるような、心の奥がグーと熱くなるような、のどの奥が詰まったような、そんな言葉にならない思い。
外泊時に、おうちに訪問して、リンパマンサージをアロマオイルで行いました。
「気持ちいい」と間もなく、寝入ったその様子に、その場にいたみんな、涙があふれました。
「このつらさが続くことを考えたら、生きることがぞっとする」という言葉が、胸に刺さりました。
緩和ケアとは何か、その人の命に寄り添う看護とは何か、命を輝かせる医療看護とはなにか、もう、二度と、こんな何もできなかったという後悔はしたくない、自分の心の痛みとともにお別れの時の花でいっぱいに飾られたその笑顔に、誓いました。その後、訪問看護を続けながらも、いつも、その娘さんのことが頭から離れませんでした。
そして、この4月に、そのお母さんの訪問看護の開始となったのです。
私は、そのおうちに数年ぶりにお伺いしましたのですが、お母さんをみて、訪問中に涙がこぼれないようにすることが精一杯で、本当に私は、このお母さんを理性的に看取ることができるか、最初は自信がありませんでした。次の訪問があるときは、まず、歩いてステーションに戻り、その間に泣いて気持ちを切り替えました。お部屋のお父さんと、娘さんの笑顔に背中を押されて、私の訪問看護師としての役割を精一杯行いました。
そして、この1カ月間、娘さんたちは、素晴らしい介護をされました。私のすべてを出し切って緩和ケアを行いました。そして、家族とともに在宅で看取ることができました。でも、まだ、あの時、こうしていればよかったのでは、もっと時間をとればよかった、と頭をよぎります。
予想しながら、何より本人のしたいことができるように調整することが緩和ケアと考え、本人の願いを一つずつかなえていきました。
また、苦痛症状を緩和するには、できるだけ、動くこことだと考え、動いても苦痛がないようにして、亡くなる4日前に自宅のお風呂の浴槽に入ることができました。最後まで、痰は全くなく、SPO2も改善するぐらいでした。
亡くなったとき、もう2度と、話ができないことがさびしく、単純に本当にさびしかったのです。
娘さん二人と、亡くなる9時間前にベッドサイドで夜中2時間涙を流しながら、これまでの長い経過の中での、それぞれの思いを語り合いました。
泣いたり、笑ったり、「4番目の娘」という、大変光栄な言葉をいただき私も、素直な思いを出しました。
今日、訪問の合間に、納棺に立ち会わせていただきました。その懐かしいお母さんに再開し、一人で、お棺の中で、さびしくないかとおもってしまいました。
お通夜で、同じようにさまざまな絆を持った人たちと会い、同じ寂しさの涙の人々に心癒されました。
あすか山訪問看護ステーションは、昨年31人の方を在宅で看取りました。
今年は、さらに、その人数は多くなることでしょう。
どうしても、病院から退院してから在宅看取りまでの期間は短いのが現状です。
今回の経験は、これから私が出会う患者さんへの訪問看護師としての思いを一段高めることができたように思います。
その方のこれまでの人生のひだにそっと触れさせていただくこと、そして、短くても心の絆が持てるような、関わりを全力をだして行いたい。これまで確固たる自信がなかった、「苦痛は緩和でき、人の命は、必ず最後に輝ける」ということに、私は、少し自信をもってその状態を目指して、頑張れると思いました。
まだまだ、不十分な知識・技術です。全力で、そのもっとも必要とされるときに訪問看護師としての役割が果たせるように、準備したいと思っています。
そして、また、いつか私も同じように、最後の時を迎えるのです。
その時に、自分の命もこのお母さんのように輝けるためには、今の私の生き方にかかっているのです。そのことをこの、大切な人から教わりました。
素晴らしい方々と出会えたことは、人間として、訪問看護師として本当に幸せだったと思います。
ありがとうございました。
合掌。