とりあえず、この第3者機関の満足度調査の内容を、あすか山の実際と結びつけて、職員一人一人から声をだして、初めて、あすか山の実情にあった具体策を出すことができると思う

5時から7時まで、本日休みの職員まで、夕方来てくれて、話し合った。

全員がそろうことは難しいので、まず、第一回目のはなしあいだった。

 

日ごろ、ゆっくり話せないことも、ひとりひとりの職員から意見を聞くことができた。

11月にはいって、すでに17人の新規利用者に対応している現状で、やはり、悲鳴のような声も聞き、新規利用者は断らない、訪問看護を必要としている人に、訪問看護サービスを必ず届ける、といった私の理念にたいしても、必死の叫びがあった。新しく入職して3カ月目の看護師も、一生懸命であるし、2年経過している看護師も一生懸命である。

 

さまざまな具体策を出すことができたこともよかったが、春から久しぶりに深く話せたと思う。

私の役割は、私しか果たすことができないことを必至にがんばり、管理者として10年さきを見通した指針を表明し、職員がどこをめざしているために、今があるのかを考えることができるようにすることが必要であることを改めて実感した。

私は、利用者に対して、看護師としてのいとおしさをもち、命と生活を引き受ける覚悟をもって、訪問看護ステーションの所長をしている。

そして、同時に、ここで働いている職員すべてにいとおしさをもって、その職員の生活を引き受ける覚悟をもっている。

 その職員の人生のなかで起こりうるさまざまなことと仕事のバランスをとれるように、引き受ける覚悟である。

利用者を簡単に、断る管理者は、また、職員にも簡単に、休まないで、と言える管理者だと思っている。患者、職員をまず第一に考えるのではなく、自分のことを考える姿勢はあらゆることに現れると考えている。

私の譲れない点は、単純なことで、すべての地域の方が、訪問看護を必要としているときに、必要なだけ入り、看護を提供することに全力で挑む(それは、何もあすか山訪問看護うステーションでなくても、どこでもよい)、その看護を提供する職員が看護師としての素晴らしさを実感できて、幸せな気持ちで生活できることにできる限りのことを行う、この2点である。

おそらく、今日の話し合いでも、不安や不満の感情を控えめにして、私の思いに気を使いながら発言していた人もいるかもしれない。

まったく、違う意見の人もいたかもしれない。

なにより、所長が大学院に通っているステーションに勤務したことを後悔している人もいるかもしれない。多大な負担を職員にかけていると思っている。でも、私を責めることなく、協力してくれているみんなに心の底から感謝している。

財団のステーションとして、訪問看護認定看護師が所属する意味があるように、在宅看護CNSが必要な意味があると考え、学んでいる。

私も全く余裕もなく、必至であることは、新人の看護師と同じであり、さまざまな立場で、みーんな頑張っていることを再認識した。

 

やはり、話し合いは本当に大切であると実感した。

 

2回目の話し合いが大変楽しみである。