今週はご自宅での看取りを2件させていただきました。

ご本人が「愛する家」にいたいと願うことを、ご家族が理解されて介護される様子にいつも学ぶことが多いです。もちろん、それぞれの、家族の状況、あるいは、介護の手助けが少なければ、意思とはかかわらず、病院にいかざるをえないということはあると思います。

 

昨年、まったくのお一人暮らしの方を2名、ご自宅での看取りをさせていただきました。

ご本人の強い意志を、医師をふくめた、かかわるすべてのサービスの職員が理解し、お引き受けさせていただいた結果でした。

「家」というのは、患者さんの心をリラックスさせ、自律神経の興奮を落ち着かせてくれます。耳慣れた家族の声や、近所の犬の鳴き声さえ、横になっている患者さんの気分を和らいでくれます。

私たちは、緩和ケアを、アロマやマッサージ、温湿布などを利用してしますが、それは、24時間のうちの、ほんのわずかな時間です。それ以外のときの、緩和ケアは、「家」も手伝ってくれているのです。

古いたんすに貼り付けられた、お菓子の付録のアニメのシールをみながら、子供の思い出を語ってくれた方もいます。畳のタバコのこげた跡では、焦げのために、若いころ夫婦けんかした、話す介護者の声を聞いている患者さん、麻薬を使用したときよりも、穏やかな微笑みで聞いておられます。

私たちの人生の先輩の方の、これまでの生きてきたご様子を聞くことは、大変勉強になります。

「悪いことはなんでもやったよ」と笑う一人暮らしの方の刺青は、やせた体をなんだか励ましているように思いました。

なるべく、体のつらさは、緩和医療で取り除き、これまでの人生を振り返り、遣り残したことを思い出し、それができたときの患者さんは、本当に安らかな、うらやましいほどの寿命の全うの仕方です。

私たちの仕事は、その遣り残したことを思い出してもらい、総力をあげて、できるようにすること、これが最大の緩和ケアだと思います。

訪問看護の開始が遅いと、この時間が取れず、体の緩和ケアだけで終わってしまうことがあります。

そんなケアは、本当の緩和ケアにはなっていないと、いつも思います。

できるだけ、早く、私たちはかかわらせていただきたい、と看取りのたびに思います。

私たちは、その方が、「生きる」ことを支えることが重要で、その結果安らかな死の瞬間が訪れるのだと思います。

その「生きる」姿を近くで拝見しながら、自分の今の「生きる」姿勢はこれでいいだろうか、と感じるのです。

 また、介護をされる家族にも学びます。細かな本人にとっての「心地いいケア」を一番知っておられる家族の方に、学びながら、看護ができる緩和ケアを考えます。

 

誠実に患者さんと向き合うためには、そのままの未熟な自分を自覚したうえで、自分ができる勉強を行い、ケアでお返ししながら、人生の先輩に対しての敬意を払う姿勢が必要です。

患者さんの足元にも及ばない、死生観ではありますが、それを持った上で、患者さんの生と死の不安に対しても逃げないで、会話ができることが大切です。

ご自宅で、と願う患者さんには、訪問看護が全力で最後まで「生きる」方法を一緒に考え、お手伝いします。それは、その地域に暮らす、私たち自身の人間としての成長のためにもさせていただいているのだ、と思います。