私は、いつも重症者のかたに電話をするときは、ものすごくためらいます。

それは、電話だと相手の今の様子が見えないからです。

病院と在宅での違いの一つに、病院は医療者のリズムに患者さんが合わせ、在宅は患者さんの生活に私たちが合わせるという点があります。

病院では、医師や看護師の都合で、何度急に病室を訪れ、自分がなにか見忘れたこと、聞き忘れたことに気がつくと、づかづかと病室の患者さんの時間を奪い、そのあと患者さんがどのようにストレスを感じ、自律神経が興奮し、ゆっくりとした体のリズムが変化するかなどお構いなしで、看護師や医師の自分の責任を果たすことを最優先に関わってしまいます。

いつ起こるかわからない医療事故に対応するためにも、きちんと、何時何分には、この状態を観察していた、という記録を残す必要があるのです。いつ、どの時点で変化し、それは誰の責任かを明らかにすることが最優先するからです。

 私はいつもこの姿勢に違和感を感じます。

相手のことを本当に考え相手中心に考えた看護師のかかわりとはどのようなものか。

患者の立場に立つということは、教科書では当たり前のことなのに、現場では、本当に医療者中心になっていることを感じるのです。

 私もまったくレベルは違いますが、忙しかったり、ゆっくり休んでいたり、うとうとしていたりする時に、望んでいない電話が入り、あわてて受話器をとり、大変疲れることがあります。

 夜眠れない重症の患者さんや、予後が厳しく、家族も大変な介護生活で疲労しているかた、夜の介護に備えて、本人がうとうとしている午後など、家族と一緒に休んでおられるかもしれません。

そんな時、その休息を奪うことは、生命力を消耗させ、私が望む状態と反対のかかわりをしてしまうことになるのです。

重症者の方にとって、毎日、症状の変化にストレスを感じ、不安が大きい日々のなかで、ヘルパーさんも医師も、看護師も誰も来ない貴重な家族だけの時間は長いこれまでのなじみのある時間の流れ、空間になり、本当に貴重な時間です。

私は、その空間、時間を大切にしたいのです。

ですから、患者さんに電話をするときは、本当に必要なことで、ほかの誰に聞いてもいわからないこと、今絶対に聞かなければ、患者さんの命やQOLを下げることにかぎり、だれかヘルパーさんなど計画的にはいっている時間を確認して電話します。

毎回その電話に気を遣い緊張するので、なるべく電話をしなくてもいいような訪問時のかかわりとするようになりました。

医師に確認しその結果を患者さんに伝えなければならないことが生じれば、その訪問時に

医師に電話をし患者さんに伝える、訪問看護のために時間を割いてくださっているその時間に役割をなるべく果たします。

不意な電話は、本当に患者さんをドキッとさせ心拍をあげ、そのあとしばらく緊張させるのです。

看護師は自分勝手で自己中心な動きでなく、患者さんの命を想像し、長い人生の流れの中の今の生活に配慮し、家族へも暖かい思いやりを込めた気配りができることが求められています。

患者をおもって電話をすると思いがちですが、実は不安な自分のために患者の命を消耗させていることがあることを忘れてはいけないと思います。