もくじ

お話を伺った皆さんのご紹介
一般社団法人石川県医療在宅ケア事業団 中能登訪問看護ステーション
管理者 中村志帆さん
一般社団法人石川県医療在宅ケア事業団 能登中央訪問看護ステーション
管理者 佐々木明美さん
株式会社れん らいず訪問看護ステーション
統括責任者 宮本満寛さん
管理者 岡浦真心子さん
合同会社スマイルケア 福風訪問看護ステーション
管理者 菅原ユミ子さん
石川県医療在宅ケア事業団
事務局長 小門堅一さん
訪問看護管理部長 山越亜由美さん
1.地震発生時とその後の活動
除夜の鐘が鳴り響き、いつもと変わらない新年を迎えたはずでした。
初詣に出かけたり、集まった親戚との新年会の準備をしたり・・・。
新しい年を迎えたお祝いの空気があふれていたその時、未曽有の事態が起こりました。
あの日、皆さんはどんな状況で、どのような行動をされたのでしょうか?
中村さん「自宅に居ましたが、その日のうちに事業所に向かいました。
事業所の建物は液状化現象のせいか少し浮き上がっている状態になっていて、部屋は色んな物が散乱している状況でした。」
佐々木さん「当番で事務所にいました。訪問予定があったので準備をしていたら地震がおきました。
自宅には母が居るので急いで帰り、その後、津波が来るとのことで高台に避難しました。」
宮本さん「地震の時は、神社にお参りに行っている最中でした。
津波が来るという情報がありましたが高台には避難できず、総合病院に避難して、そこで一晩過ごしました。」
菅原さん「レセプトをしようと事務所にいました。母は在宅酸素をしているのですぐに自宅に戻りました。
でも停電しているので在宅酸素も作動せず、救急車を呼んでも来ないので、車に母を乗せて病院に搬送しました。」
様々な状況下での出来事でしたが、特にご家族と離れているときに被災するのは想像するだけで不安で、胸が締め付けられます。
停電で電話が繋がらない状態が続き、利用者全員の安否確認には1週間以上かかった事業所もあったそうです。
そんな中、中能登訪問看護ステーションでは、震災前にLineやMCS(メディカルケアステーション:医療介護現場で利用されているコミュニケーションツール)で職員の安否確認の練習をしていたことから、比較的スムーズに連絡がついたそうです。
「スタッフ全員が生きとるんやって分かったのは、何よりの精神的安定でした。」
としみじみ語る中村さんの表情が印象的でした。
皆さん自身も被災されている中での訪問が始まったと思いますが、どのように活動されていたのでしょうか

中村さん
中村さん「2日から訪問を始め、スタッフ自身の疲労と緊張感から判断力低下のリスクを考えて、常時2人体制で訪問し、まずは重症者への訪問をしました。ALSの利用者が福祉避難所へ避難しているとわかりそこにも訪問しました。避難された方々の不安な様子を目の当たりにして、利用者に限らず看護相談を始めました。
行政の方も精神的に追い込まれとる表情なので『一緒に支えあおうね』と声かけをしながら回っていました。
訪問看護師が避難所を回ることの意義を痛感して、行政の方と相談して避難所を定期巡回する契約をして活動しました。」
佐々木さん「道路の亀裂などがひどく、1月末までは2人体制で訪問しました。重症度の高い方を優先的に訪問しました。」

菅原さん
宮本さん「うちの事業所は災害派遣精神医療チームの窓口となり、病院や役場、避難所と情報共有しながら動きました。
物資を持って利用者さん宅だけではなく、避難所や施設にも行きました。
他には、給付金や被害認定調査、仮設住宅の申し込みが煩雑なので、書類作成支援にも重きを置きました。」菅原さん「事業所は半壊状態となり、道が悪いので車が2台パンクしました。利用者さんは低栄養や停電でエアマットが使えないので褥瘡になってしまう人が多かったです。
それに生活意欲が低下したり、デイサービスに行けない状況が続いたのでADLが低下する人もいました。
12月まで歩いていた人が寝たきりになってしまう人もいました。」
避難所で健康相談の必要性を判断され、定期的に避難所を巡回できるように行政と交渉した行動力は、まさに訪問看護師ならではだと思いました。
自事業所の利用者さんだけではなく、常に地域を看護っているからこそ課題を見つけ、解決のために行政等につなげていく様子は、地域に存在する多職種をつなぐハブという役割を訪問看護師が担う存在なのだと思いました。
また、褥瘡の発生やADLの低下などの実態は、生活環境の変化が及ぼす身体症状への影響の大きさが浮き彫りとなり、災害時の看護として大きな課題であると改めて感じました。
皆さん、口々に「訳が分からないうちに1か月が過ぎて、ほとんど記憶がない」と語られ、無我夢中で活動されていたのが伝わりました。
訪問看護師の皆さんも同じく被災者であり、家には家族がいます。
当日やその後の活動から、皆さんの使命感も痛いほど伝わってきました。
ライフラインが止まっている状況での訪問で、普段の訪問看護とはまた違う場面があったと思いますが、記憶に残るエピソードを伺いました。

佐々木さん「地震後初めての訪問は腹膜透析の方でした。
停電で充電器を使っても対応できず手動でやるしかない状況でした。
高齢者なので取扱業者の説明にもなかなか理解が難しくて。
医師や業者さんから連絡があり、10分で行ける距離を1時間半かけて訪問しました。」
中村さん「利用者さん達に『避難所にも来てくれたんだ!中村さんに自分がここにいることを知ってくれとると思うだけで安心した!』と言われたのが忘れられません。」
菅原さん「デイサービスも中止になって入浴する機会がなかったので、自衛隊にお願いして利用者さんを入れさせてもらい、お風呂介助をしましたが、とっても喜ばれました。
浴槽まで階段があり、結構深かったので無理かなと思いましたが、利用者さんも頑張って入浴しました。
その時の表情が忘れられません。」
宮原さん「うちは精神疾患特化型のステーションですが、利用者さんは、水も出ない、ご飯も足りない、物資も取りに行けない、風呂に入れないという状況の中で、何か月もよく耐えた、すごい強いし頑張った!というのが印象深いです。」
震災前から、地域で地道に活動されてきた皆さんは、地域に住む人々の暮らしと健康を守るために懸命に活動されていました。不安が大きい中での訪問看護師が支えとなったのは、日頃からのつながりであったからこそだと思いました。
2.事業所内外での体制と課題
その時、管理者として
皆さんは、管理者として事業所の運営と地域への支援をされていましたが、ご自身の生活もあり、どうやって動いていたのでしょうか。また、さまざまなサポートチームが支援されていましたが、混乱している中でどのように連携されていたのでしょうか。
中村さん「水がない、電気もない。でも自分たちも生きていかなくちゃならない。
だから仕事に来ては、ちょっと自宅に戻って片付けをして、そこから訪問に出かけるなどしていました。
管理者としては、日々刻々と変わり、その後の展開もまったく予想ができない環境(もしくは、状況)のなかで、スタッフを動かした方が良いのか止めた方がいいのかの判断はかなり悩みましたね。
亀裂だらけの道なき道をなんとか訪問している姿を思うと、胸がぐっと苦しくなる日々でした。」

訪問看護師である前に、一人の生活者でありそして被災者であることは、様ざまな役割を重複されているということ。おそらくメンタルを保つのもギリギリな状況であったに違いありません。
事業所を継続するための工夫として、
岡浦さん「スタッフも被災しているので時短勤務を取り入れました。8時間のところを6時間にして、自宅の整理や子供の世話にあてる時間を作るようにしました。」
と、迅速に体制を見直されて運営されている事業所もありました。
皆さんBCPは作成されていましたが、今回の地震を受けての感想として、
菅原さん「小さな事業所で動けるスタッフも少ないので、シミュレーションが大事だと感じました。
一人で全て抱えるのではなく、スタッフと役割分担することも大事だと思いました。」

全国にある多くの訪問看護ステーションは小規模のため、この観点は非常に大事であると感じました。
また、管理者としてスタッフに向けて「みんなの命が何より大事だから」と、必ず訪問先では避難路を確保することや、自分自身の体調を優先して訪問を中断してよいはい!
ことなども伝えていました。
今回、皆さんが揃って課題だと感じていらしたのが、災害支援の医療関係者との連携についてでした。
菅原さん「いろんな所から応援の方がいらして助けられた部分もたくさんありますが、役所も混乱している中で、情報共有をどこまでどうやってするのかが課題だと思いました。
利用者さんから「ようわからんけど、今日はこんな人来たわ」とよく耳にしました。」
宮本さん「精神疾患の人は目には見えない部分であり、自ら伝えることも難しいので、外部から入る支援者に、その情報を繋げていくシステム構築が必要だと思いました。」
中村さん「訪問看護師として自分の判断を言語化して相手に伝える力、多職種とつながる力、そして少し先を見通す力は災害時にも活かせることを再認識しました。
ただ、他の事業所がどのような動きをしているか見えにくかったので、そこを共有できたらもっと一緒に活動できたかもしれないと思っています。」
災害時における医療や看護に関する情報共有の在り方については、切れ目のない支援の継続において大変重要なことです。
平時からのつながり
前述したとおり災害時の連携には課題があるようですが、その中でも中能登町では自治体と訪問看護ステーションの連携がとれていたようです。それはどのような仕組みがあったのでしょうか。
中村さん「厚生労働省の在宅医療・介護連携推進事業として、中能登町在宅医療介護を考える会、通称「あじさい会」があります。
この会では、平時から多職種と連携して、住民の方に認知症や嚥下訓練などの研修会をしています。
今回の地震の際もこのつながりを通して、住民の声を行政に届けて、迅速な診療や生活に関するタイムリーな相談、情報共有ができました。
震災後にも、地域住民と今後を一緒に考える場を設けました。住民から出てきた内容のキーワードは「自分の身を守る」「ご近所」「日頃のつながり・集まり」でした。
日頃からご近所さんとのつながりの大切さと、発災後の不安な中で大きな支えとなったのは、このあじさい会でのつながりであったと強く認識されたと思います。」
石川県では、石川県看護協会ナースセンターのバックアップの中、石川県訪問看護ステーション連絡会が日頃からBCPの勉強会や有事の際のエリアマップ作成など、さまざまな取り組みをされていました。
この取り組みで顔の見える関係となり、災害時に情報の共有や支援物資の提供等で役にたち、何よりもお互いにくじけそう気持ちを支え合うことができたとのこと。改めて日頃からの連携の重要性を感じました。
★ スペシャルサンクス
石川県医療在宅ケア事業団事務局長 小門 堅一氏
石川県医療在宅ケア訪問看護管理部長 山越 亜由美氏
石川県・石川県医師会・石川県看護協会で構成される石川県医療在宅ケア事業団。県内の要介護高齢者に対する訪問看護サービスの不足している地域等において、地元市町、医療関係機関等と一体的に訪問看護サービス等を提供する事業等を行っています。県内に訪問看護ステーション14ヵ所(サテライト1ヵ所を含む)を運営しており、能登北部地域の看護師の不足を支援する仕組み(応援スタッフの派遣)を試行的に行っています。その仕組みが今回の震災後も活かされたそうです。

★ 編集後記
私たちが取材に訪れたのは、被災後8か月たった9月上旬でした。
金沢駅周辺は観光客で賑わっているものの、能登方面に向かうといまだブルーシートがかかった家や崩壊したまま手つかずの家、隆起や陥没が見られる道路など、そこは別世界の光景で言葉を失いました。

今回取材させて頂いた皆さんは、ご自身も被災者でありながら使命感をもって活躍されており、本当に頭が下がる思いでした。
「能登はやさしや土までも」という地域性や文化を象徴する言葉があるように、被害が大きくても「自分より大変な人がいるから」と相手を思いやる方が多いそうです。
お互いに助け合いながら地域で力強く頑張っていらっしゃる姿を拝見し、少しでも早く復興が進むことを願ってやみません。
東京へ戻り取材内容の整理をしていた時、今度は豪雨災害のニュースが目に飛び込み、瞬時に現地の皆様のお顔が浮かびました。
地域の皆様のお気持ちは、私たちの想像をはるかに上回るものがあるとお察しします。それでも、前を向いて頑張る現地の訪問看護師の皆様が、今日も活動されています。
今回、震災後の現地に行くことで、訪問看護師は暮らしも含めた不安へのサポ―トに重きを置いていることを痛感しました。
まさに暮らしの支援は訪問看護師の役割ですが、訪問看護師も被災者であることから、地域を照らす太陽となれるよう、我々財団もサポートしたいと強く思いました。
