葉っぱ葉っぱ

~訪問看護のルーツを訪ねて②~

Vol.2 大関和の地をめぐる

水彩水彩

記念碑除幕式で訪れた大田原市黒羽の地を、大田原市のご計らいで巡らせていただきました。
大関家ゆかりの場所に立つことで理解が深まり、その時代に触れているような感覚になります。ここから日本の看護の礎を築いた人物が生まれたのだと思うと、とても感慨深い気持ちになりました。

1.大関家の歴史に触れる

黒羽の地には古くから黒羽藩が置かれ、この地域を治めてきた歴史があります。この地の代表ともいえる那須神社や大雄寺にはその面影が数多く残っています。幕末の頃、大関和の父・弾右衛門は、この黒羽藩の家老として取り立てられ、藩を支える立場にありました。
那須神社の裏手には金丸塚と呼ばれる小山があり、1868 年1月3日、この付近で第15 代藩主・大関増裕が猟銃の暴発により命を落としたと伝えられています。この時期は幕末から明治維新にかけての混乱期にあたり、藩の中でも進むべき道をめぐって揺れ動いていたといわれています。弾右衛門もまた、家老としてその只中にいた一人でした。
そうした時代の中で、大関和はこの地で生まれ育ちました。のちに彼女が歩んだ道や、それを成し遂げる力や精神力を思うと、この土地での経験や時代の空気が、その生き方に何らかの影響を与えていたのかもしれません。

那須神社

① 手水舟 寛永19 年(1642)に黒羽藩主大関高増が、「所願成就」のために「造立」した手水舟。

② 楼門の左右の建物 近年の調査で、家臣の詰所だったのではないかと言われている。藩主がお参りしているところ、家臣がここで待機していたらしい。もしかしたら、大関和の父弾右衛門も、ここで待機したことがあるのかもしれない。

 曹洞宗 黒羽山大雄寺

③室町時代から続く、歴史ある曹洞宗のお寺。後に大関氏当主によって再建されたと伝えられており、立派な茅葺屋根が印象的。
黒羽藩主・大関家の墓所がある。

2. 小説『明治のナイチンゲール 大関和物語』に描かれる「パン・ペルデュ」

大雄寺の門前にある「ひつじ珈琲」というカフェでは、小説『明治のナイチンゲール 大関和物語』に登場する「パン・ペルデュ」を味わうことができます。お寺の静けさと一体になった、落ち着きのあるカフェですが、人の列でにぎわっています。

パン・ペルデュは、古くなったパンを活かすためにヨーロッパで生まれた、フレンチトーストの原型ともいわれる料理です。
小説の中では、東京で派出看護に携わる和が外国の文化に触れ、ある家庭でコーヒーとともにパン・ペルデュをご馳走になる場面が描かれています。和はその作り方を教わり、やがて家族にも伝えていきます。最初は戸惑っていた母テツも、次第にそれを受け入れ、家族に振る舞うようになります。
 

この変化の過程は、女性が働くことや看護婦という仕事、西洋の文化に対して戸惑いを見せていたテツが、和の生き方を理解し、受け入れていく様子を重ねているようにも感じられます。
このエピソードは史実として確認されているものではありませんが、新しい文化や看護の在り方が、家族や社会の中に少しずつ受け入れられていく過程を象徴する場面として、心に残る描写です。
 

3. 大関和の歩みが、いまにつながる

大田原市は、平家物語の「扇の的」で知られる那須与一の生誕地でもあります。その那須与一伝承館では、現在、大関和の特別企画展が開催されています。町のあちこちでは、のぼり旗や横断幕が掲げられ、地域をあげてその歩みを伝えようとする様子が感じられました。

大関和は、明治という時代のなかで自ら看護の道を切り拓き、看護が仕事として社会に広がっていく流れの中で重要な役割を果たしました。
この機会に看護の奥深さを、そして訪問看護という存在を、少しでも身近に感じていただけたら幸いです。

○参考○
大田原市観光協会様のサイトでは、大関和をのゆかりの地を、詳しく紹介しています。
大田原市観光協会 『風光るまち大田原-大関和と出身地大田原市黒羽を紹介する特設サイト』
https://ohtawara.info/chika/

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